今年度のノーベル物理学賞

今年度のノーベル物理学賞の受賞者が数日前に発表された。今回は、重力波の計測に寄与なさった3人の方に栄誉が贈られる。この研究は40年越しの苦労の賜物で、LIGO (ライゴ) という長さ4kmに及ぶ大掛かりなレーザー装置が計測の成功を担った。重力波が初めて計測されたという発表があったのは昨年の2月だった。私の知り合いがLIGO関連の研究をしていることもあって、私は彼らがノーベル物理学賞を受賞するのを心待ちにしていた。本当におめでとうございます。

LIGOはアメリカに二つあって、重力波が同時に観測されることでその信憑性を確認できるようになっている。そのうち一つはルイジアナにあるので、私も大学時代に見学に行ったことがある。その時に地震計測機を埋める穴を掘ったから、一応私も研究に爪の垢程度は携わったことになるのだろうか。陰ながら光栄なことだ。まあ、私の物理学への貢献なんてそういったつまらないことばかりだから全く自慢にならない。自己満足はしてるけど。

この発表を機に、受賞者のお一人であるワイス博士の紹介記事を読んだのだが、彼の紆余曲折に満ちた生き様がよく現れていて大変興味深かった。彼は第二次大戦中ドイツに生まれたが、お父さんがナチスから迫害を受けたためにアメリカにご家族で移り住んだ。マサチューセッツにある名門MITに入学するも3年で中退し (理由は記事の中では不明だが多分金銭的なものだろう) 、その後MITに電気技師として就職した際に物理学科の教授から気に入られてその教授の指導のもと勉強をやり直した末に博士号を授与された。彼のこの、あまりエリートっぽくないところがすごく好き。卒業から数年後、ワイスはMITに今度は助教授としてまた戻ってくる。大学から相対性理論の入門クラスの教鞭をとるよう依頼された時、彼はその内容をほとんど知らなかったそうだ。そういうことって、物理学者にはよくある。専門が違う分野は知らなくても学位はとれるが、後で困ることもある。ワイスの場合、彼はそれをきっかけに重力波の研究の第一人者になってしまうのだが。

ワイスが学校の物置で最初に作ったLIGOのプロトタイプの模型はわずか1.5mだったという。重力波のような宇宙規模の研究がそんな可愛らしい模型から始まったかと思うと、千里の道も一歩から、というか、科学の浪漫を垣間見た思いで心が温まる。良い人のもとにはまた良い人が集まってくるものである。人生は短いけど、それをこんなに有意義に生きてしまうワイスのような人に憧れる。やっぱりかっこいいよね、科学者って。

ワイス博士の紹介記事はこちらに。

MIT physicist Rainer Weiss shares Nobel Prize in physics | MIT News

 

ラスベガスの銃乱射事件

先週末、ラスベガスのコンサート会場で無差別乱射事件があり、死傷者の数は500人以上に上ったという。容疑者自身も銃で自殺したとある。アメリカは銃の規制が甘くて、一般人でも殺傷力のある拳銃を合法的に購入できる。多分それは、アメリカの開拓時代にあった無法社会の名残である。あの時代、荒くれ者同士が身の保全を図るには銃が不可欠だったはずで、アメリカの銃規制が緩いのはその歴史を踏襲しているためだと思われる。私は子供の頃にワイルダーの大草原の小さな家の翻訳本を愛読していたが、開拓者であるインガルス家の食卓はお父さんが大草原で狩猟してきてくれる野生の小動物で成り立っていた。今でも、鹿狩りなどは野外スポーツとして一部のアメリカ人には人気がある。

私は若い頃、ルイジアナのバトンルージュという都市に10年以上住んでいた。アメリカでは、薬物取引絡みの殺傷事件が頻繁におこる。バトンルージュはその最たる場所で、夕方のローカルニュースはほとんど毎日それを報道していた。他人事だと思っていたら、お向かいに住んでいた聡明な女性の弟さんが銃で撃たれて亡くなった。喪服姿の彼女から、淡々と事情を聞いたときの驚愕は今でも忘れられない。彼女が話してくれたところによると、一家の中で大学に行ったのは彼女だけだったという。薬物はお金になるから、若者は簡単に巻き込まれてしまうらしい。そこには人種差別の影も見え隠れする。ルイジアナという場所はジャズやブルースを産んだだけあって、人情に富んだ人々の住む陽気な土地柄なのに、その裏側にはこういった未だ未解決の問題があるわけで、本当に息の詰まるような話である。

拳銃は、いとも簡単に殺傷可能な道具であるから恐ろしい。20年近く前にマトリックスというハリウッド映画がヒットした時に私が抱いたのは、あんな暴力的な画像を見せて人々が勘違いを起こしてしまわないかという危惧だった。ラスベガスの事件を契機にして、アメリカ議会が銃規制を強化してくれたらよいと思うが、上院下院共に共和党主導の現在、それは実現しそうにない。伝統的に、共和党は減税と不干渉主義、民主党は福祉とリベラルをモットーとする。トランプ現大統領は共和党から立候補して当選した。大草原の小さな家の物語の中で、インガルス一家は共和党を支持していた。それは、彼らが最初に丸一年かけてカンザスで開墾した土地から政府に追い出されたから。当時のアメリカでは、西部で開墾した土地は自分のものにできたのだが、誤ってインディアン居留地の中に家を建ててしまったのだ。境界線が引いてあったわけでもないので、間違ったのも仕方がない。インガルス一家はその後も西へ西へと移動を続け、最後はノースダコタに定住する。ワイルダーは次女だが、彼女は結婚後旦那さんと一緒に少し南のミズーリに引っ越してそこに二人で農場を開いた。共和党のアメリカ人には、彼らのように独立独歩な人が多い。

いずれにしても、これからのアメリカ人が安全な生活を送るには、銃や火薬の売り買いをもっと厳しく規制したほうがいい。さもないと、このような事件が再び起こることはまず免れない。

 

Power of Apology

Celeste Headlee という人の書いた、Power of Apology というエッセイを読んだ。この女性はアメリカの National Public Radio という言わば NHK みたいなところがやっているラジオ番組の司会者だが、大学時代の専攻は音楽で、声楽家としてもご活躍なさっているという多才な方である。彼女の家系図を紐解くと、お祖母さんはロシア系のピアニスト、お祖父さんは指揮者でアフリカ系クラシック作曲家の草分けとされている William Grant Still なのだそうだ。彼の残したアフロアメリカンという題名の交響曲は Youtube でも聴くことができる。

彼女のことはエッセイを読むまで知らなかったのだけれども、その繊細な視点に感心した。人種差別はアメリカという国が抱える一番大きな病気だが、今またそれに加えて移民問題が世論を騒がせている。一部の急進派を除いて、一般のアメリカ市民の態度は寛容だと私は思う。でなければ、オバマ大統領の政権が8年間続くこともなかったろう。ただ、アメリカの進展を妨げているものは、でも私は何も悪いことしていないのに、という感情である。人種差別はあったし、今もあるところにはある、でもどうして私が責められなければならないの、という思いを良識のある大部分の人は抱えている。移民問題にしても、アメリカ市民が失業しているのに、違法労働者を助けるとは道理に合わない、という考え方はごく自然なものだ。でもそれを口にすると咎められるから、対話を避ける。責められる側も辛いのだ。Headlee が説くのは、相手の立場になって物事を見ること。Compassion、という言葉があるが、それを持って接することで、相手が安心して心を開いてくれる。緊張はほぐれ、笑顔がうまれる。彼女の言う謝罪とは、ごめんなさいという言葉の奥にある、友達になりたいという気持ちのことである。

日本と韓国の間にある、従軍慰安婦の問題にしてもそうだ。我々日本人には、でもそれは前の世代の人間が起こした問題で、私達にあやまれっていわれても、、、という感情がある。では、仮にそんな事実はなかったとしたら、私たちは謝らなくてもよいのか。答えは否だ。友達になりたい以上は、韓国や台湾を併合した歴史をちゃんと見据えて、あなたのお祖父さんやお祖母さんにいろいろと大変な思いをさせてごめんね、と言わなければ話は始まらない。そんなこともういいのよ、といってくれる人もきっといるだろう。そうだそうだ、もう二度と遊びに来るな、という人もひょっとしたらいるかもしれない。そのどちらにしても、本当の気持ちを伝え合えたのならば進展だ。友達になろうよ、と言える。実は私ドラえもんが好きなの、と打ち明けてくれるかもしれない。そうすれば世界は変わる。良い未来がきっと築ける。

Celeste Headlee さんのエッセイはこちらに。

https://www.linkedin.com/pulse/power-apology-celeste-headlee/

 

チョコレート談義

春先にダウンタウンを車で通り抜けた時に見かけたチョコレート屋さんがずっと気になっていたのだけれど、昨日そこにとうとう行ってきた。よりどりみどり10個入りで、税込二千円程度だから、お世話になった少し目上の方への贈り物には本当にちょうど良い。ショーウインドウに並ぶチョコレートを眺めていると、心も踊る。

先日娘がオーケストラデビューをした。と言っても、住んでいる町の子供オーケストラで、ピッチカートのみの第四バイオリンという非常に地味なものだけど、親にとったら一世一代の晴れ舞台。いつものごとくコンサートの開始10分前にホールに着いてみると、会場は超満員で、立ち見のスペースさえままならない。しまった、出遅れたと、途方に暮れて客席の左手に歩いていくと、最前列で立ち上がって私に手を振る女性の姿があった。娘のバイオリンの先生の奥様だ。なんと、私に席をとっておいてくださったのだ。お嬢さん今日が初めてなんでしょう、ここにお座りなさい、と。彼女は第三子を夏に出産なさったばかりで、赤ちゃん連れにもかかわらず、私なんぞに気遣いくださるとは、まさしくマリア様のようなお方である。私は息子たちと一緒に後ろで見るから、とおっしゃったが、後で振り返ってみてわかったことには、小さな息子さんたちを座らせて、自分は赤ちゃんを抱いて立ち見をなさっていた。申し訳ないと思っても手遅れで、その日は演奏後の混雑にかまけて挨拶もそこそこに別れてしまった。チョコレートは、その方へのお詫びとお礼だ。話を聞いた私の娘が、かわいい小鳥の絵を描いて添えてくれた。喜んでいただけると良いのだが。

チョコレートが嫌い、という人もごくたまにいる。私の知り合いのドイツ人の男性がそうだ。ドイツと言えば、Ritter とか Merci とか、美味しいチョコレートには事欠かないお国柄だろうにそれが嫌いだなんて、実に不憫な人である。彼はレタスも嫌いと言っていた。じゃあサラダもうかつには出せない。仕方がないのでこの人には、何かの時にはワインを贈ることにしている。

でも、チョコレートを贈ると大抵の場合は上手くいく。どんな問題であってもアイスクリームとチョコレートで解決できる、というのが私の持論だ。昨今日本の国防を脅かしている北朝鮮の大統領にも、チョコレートを贈ってみたらよいのだ。武装回避の糸口になるやもしれぬ。万が一私の友人のようにチョコレートが嫌いな人であっても、絶対にこちらの誠意は伝わる。チョコレートってそんなものだ。甘さと苦さの混在に、人生の縮図すら感じられて、とことん奥が深い。

ちなみに、私が今まで食べた中で一番美味しかったチョコレートは、スイス製でもアメリカ製でもなくて、ウクライナの Roshen というメーカーが作っているクリスマスキャンデーである。ひとつひとつカラフルなセロハン紙で包んであって、レトロな感じで可愛らしい。また、私の娘は Roshen の出している Olenka という板ミルクチョコの包装紙に描いてあるバブーシュカ巻きの女の子に似ている。まあそれはさておき、Roshen を創設したポロシェンコという人物は、今ウクライナの大統領をやっている。国民からはチョコレート大王と呼ばれているそうだ。なんだかウィリー・ウォンカみたいで楽しいけど、彼は実業家出身の政治家だけあってかなり際どいこともやるようで、パナマ文書とよばれる金融スキャンダルに彼の名前があがっていた。あの文書にはジャッキー・チェンの名前もあったらしい。映画を作るにはお金がかかるし、仮にそのためにジャッキーが脱税とかしていてもそれは許されると思う私って、甘いですかね。

聴き放題の音楽について

私の住んでいる田舎町には、小さいけれども大学と交響楽団があって、よくコンサートを催してくれる。9歳になる愛娘と一緒にいつもそれらを聴きに行くのだけれど、バッハやハイドンなどの王道な管弦楽はもちろんのこと、コンテンポラリーな作曲家の前衛的な作品も取り扱っていて、幅が広い。演奏も楽しみだけれど、指揮者の方が合間になさるトークがまた面白い。歴史の背景や音楽の聴きどころなどを織り込んでくれるので、視野が広がって楽しい。

その指揮者の方はバイオリニストでもあって、私の娘に毎週バイオリンを教えてくださっている。彼のソロコンサートでの演奏に感嘆した私が、先生のCDは売ってないんですか、と聞くと、いや、出すにはお金がかかりますからねと。元がとれない、ということらしい。そうだろうな、最近はいろんな音楽がオンラインで配信されていて無料で聴けるから。面と向かっては聞けなかったけど、それこそバイオリンを教えたりでもしなければ最近の音楽家は暮らしていけないのかもしれない。

バッハやハイドンの音楽には印税はかからないのだろうか。犯罪と同じで、著作権にも時効があるのかもしれない。そうだとしたら、クラシックの演奏家の源泉収入は一番多いはずなんだけど。自分で曲を作って歌える Chage & ASKA のようなアーティストもそうだ。レコード会社が上前をはねてしまう、ということか。つまり、レコード会社に頼らずに済ますには、聞き放題の音楽を配信で宣伝して、ライブコンサートで稼ぐしかないということなんだろう。 でも今は、配信されている音源をMP3にして勝手にプレイヤーに取り込んでしまうこともできるから、ライブに行ったりCDを買わなくても音楽は聴ける。昔を思えば、それはそれで贅沢な話だけど、無料の音楽なんて、共産主義の下の労働と一緒で、価値やクオリティが下がってくるものなんじゃないだろうか。もっと切実な問題として、それでは音楽家が音楽で生計を立てられなくなってしまう。

そこまでしてどうして音楽家になるのか、という疑問までわいてきた。私は自分の街の交響楽団のファンだから、彼らに寄付なんかをしてるけど、バッハやハイドンには、王様からの雇用やお金持ちのパトロンがあった。ASKAの言うところの、個人商店だったわけだ。でもそんな場合、楽団やバンドメンバーの医療保険とかは誰がもつんだろう。ファンが個人単位でする寄付金には限りもあるし、やはり、大きな企業かレコード会社にバックアップしてもらうのが一番のはずだけど、でもそこに何かしらの見返りがなければ契約は成り立たない。ミリオンレコードを出したにもかかわらず、所属会社に借金を返せず破産した歌手の名前を、私はいくつか耳にしたことがある。例えば Goo Goo Dolls とか。このバンドは、アメリカのバッファローという地方都市の出身で、メインメンバーの二人が両方とも作詞作曲するという、なんとなく C&A に似通ったところがあって、実は私は大ファンなのだ。今年で結成32周年らしいので、多分年齢も Chage や ASKA とそんなに変わらないと思う。彼らは Iris というミリオンナンバーが一番有名だろうけれど、Gutterflower というアルバムはどの曲も秀逸。彼らの最近のシングルは、どれも Youtube でオフィシャルな動画と一緒に聴けてしまう。これではだれも、よほどのファンでない限り、彼らのアルバムは買わないだろうと思うんだが。C&A と一緒で、多分彼らにもコアなファンがいるんだな、30年以上もやってると。

C&A や GGD のように複数の作曲家を抱えたバンドには、印税の配分でいろいろとデリケートな問題もあっただろう。GGD の公式ドラマーは過去に二度追い出されていて、そのどちらともがバンドに対して訴訟を起こしている。ASKAの"言わないのは言えないこと"とは、そういったことなのかもしれない。でも私としては、C&Aのベスト盤を名打つからには二人の作った曲のバランスがある程度取れているのが道理だと思う。まさかそれが嫌だからソロをやっているはずはないよね。もしそうだとしたら心が狭いよ。

 

 

C&A

山口県の片田舎で生まれ育った私は10歳の時に、歌のベストテン、という番組で初めてChage & ASKA を聴いた。うろ覚えだが、確か曲目はモーニングムーンだったと思う。その番組の司会は黒柳徹子さんだったが、彼女の親しげな話し振りから、ああ、この歌手は新人じゃなくてかなりベテランなんだなと察した。ではなぜ、彼らの名前をそれまでは知らずにいたのだろうと、少し不思議に思った記憶がある。

私の家族は音楽に疎くて、家にあるレコードは3枚だけだった。 寺尾聰の”ルビーの指輪”と、五輪真弓の”恋人よ”、それからビートルズの”イエスタデイ”。それでも私は祖母と、木曜の夜8時は一応歌番組を見ていた。もう60代だった祖母は、演歌は好きだったけど、その他の歌謡曲は敬遠していた。その祖母が、その日彼らの演奏の後でポツリとつぶやいた言葉が、

"こりゃあ本当に歌の上手い歌手だねえ。"

学校の音楽の先生から、歌謡曲は程度の低い音楽だという印象を植え付けられていた私には、C&Aとの出会いは目からウロコが落ちた瞬間だった。でも、だからといって彼らのレコードを買いに行くわけでもなく、日々は過ぎた。それから数年後、巷でパラダイス銀河が大ヒットした時、私は中学校の吹奏楽部にいたのだが、運動会のマーチのために選ばれたその曲の楽譜には、飛鳥涼という作曲家の名前が印刷されていたはずだ。でもまさかそれが、あの時聴いたC&Aの片方だったとは知る由もなかった。

1991年にSAY YESが一世を風靡した時、私は高校1年生だった。合唱部に入った私は、C&Aの曲を歌うため、Chageのパートを譜面にしようと四苦八苦したのだけど、なかなか上手くいかなかったのを覚えている。彼のやるハモりは、単純に3度5度の追従ではないのだと、その時に思い知らされた。それからまた数年後、私は二十歳の時に渡米した。そのころ通っていた日本の大学の食堂で、天井近くに吊り下げられた真空管テレビに映る Chage とASKA がドラマのオープニングで歌う YAH YAH YAHを、今でも鮮明に覚えている。彼らの歌声に鼓舞されたのだと思う。世界に羽ばたいた二人を追いかけたかったのだ、私も。

あれから20年あまりたった今も、私の聴く邦楽はC&Aだけだ。日本に帰るたびに、彼らのアルバムを買った。20代の後半に、彼らの音楽がアコースティック主体になったころのアルバム NOT AT ALL を聴いて、その変遷にかなりがっかりしたものだけど、この歳になってから改めて聴いてみると、それもすごくいい。見る目というか、聴く耳がなかったなあと反省している。

私はいわゆるコアなファンではない。C&Aのライブに行ったこともない。ただ、彼らの紡ぐハーモニーが好きなだけだ。私はいつも、複旋律の音楽の美しさに魅了される。バイオリンの音色も、第一と第二がからみあってこそますますその輝きを増す。

だから私は、C&Aの終焉を告げられると本当に悲しい。あと何年音楽をやり続けられるのかを考える年齢になってしまったとASKAは言うけど、だからこそ、もう一度ふたりで歌ってほしい。自分だけの音楽、とか言わずに。

 

祝婚歌 吉野弘

二人が睦まじくいるためには

愚かでいるほうがいい

立派過ぎないほうがいい


立派過ぎることは長持ちしないことだと
気づいているほうがいい

完璧をめざさないほうがいい

完璧なんて不自然なことだと
うそぶいているほうがいい

二人のうち どちらかが
ふざけているほうがいい

ずっこけているほうがいい

互いに非難することがあっても
非難できる資格が自分にあったかどうか
あとで疑わしくなるほうがいい

正しいことを言うときは
少しひかえめにするほうがいい

正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと
気づいているほうがいい

立派でありたいとか
正しくありたいとかいう
無理な緊張には色目を使わず
ゆったりゆたかに
光を浴びているほうがいい

健康で風に吹かれながら
生きていることのなつかしさに
ふと胸が熱くなる
そんな日があってもいい

そしてなぜ 胸が熱くなるのか
黙っていてもふたりには
わかるのであってほしい