拍手のタイミング

先週の土曜日、隣町のコンサートホールにかの有名なバイオリニスト、イツァーク・パールマン (Itzak Parlman) がやってきた。またとない機会なので、娘と一緒に鑑賞に行ったのだけれど、彼は噂に違わぬ大変魅力的な人物で、その卓偉した演奏はもちろんのこと、色々と感慨深かった。

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その日の演奏は、まずシューベルトのソナチネから始まり、ベートーベンの「クロイツェル」と呼ばれるバイオリンとピアノの為のソナタの後に、インターミッションを挟んでドボルザークのソナチネ、という三部構成だった。ベートーベンのソナタは、昨年娘のバイオリンの先生のソロコンサートで聴いたことがあって馴染みのあるものだったから、特に楽しめた。ただ、会場の音響のせいなのか、バイオリンの音色がピアノの音にかき消されるような感じの部分が所々あって、少し不満が残った。しかし私が一番感嘆したのは実はそれらではなくて、その後にアンコールでおまけとして披露された4曲の小品の演奏だった。題名は忘れたがクライスラーの作品が2曲と、フィオッコのアレグロ、そしてブラームスのハンガリー舞曲No.1だったが、情感に溢れた、それはそれは素晴らしい演奏であった。こういった小品というのは、3分から5分程度の楽曲で、私のような素人にも分かりやすい。また、フィオッコの曲は、スズキ教本の6冊目にあります、とパールマンが前置きしてくださったので、私の娘はかなり真剣に聴き入っていた。

クラシックの演奏会の暗黙のルールに、拍手のタイミングがある。会場の観客がかなり高揚していることはパールマンがステージに上がる前から明らかだったのだが、最初の曲目のシューベルトのソナチネの一つの楽章が終わるたびに観客からは拍手が巻き起こり、私と娘は少したじろいだ。ソナタやコンチェルトといった長めの作品には、3つ以上の楽章があって、その間には静寂にして拍手は行わないのが普通である。演奏の途中で邪魔をしない、という事だと思う。全ての楽章が終わって初めて、観客は拍手をする。私の娘にはそういったルールを確認した事はないが、彼女は幼い頃から地元の小さなコンサートに私とよく出かけているので、自然に学んだようである。パールマンは高名なバイオリニストなので、普段あまりコンサートに出かけないような人々も多分その日は彼の演奏を聴きに来ていたのだろう。コンサートが始まる前に、主催者の挨拶があったが、その時に携帯を切るように注意をなさっていた。その際に拍手のタイミングについてもお話があったら良かったかなと思う。

次の曲目のベートーベンのソナタが始まる前にステージに戻ってきたパールマンは、マイクを取ると幕間の拍手についてユーモラスに言及なさった。「今、楽屋でベートーベンに会いました。」これを聞いた観客席からは笑いが起こった。「彼は私にこう言いました。先ほどのシューベルトの作品の演奏を聴いていたが、拍手のタイミングがどうも気になった。自分の曲の演奏の際は、拍手は一番最後までしないでほしい、との事でした。」そこでパールマンは首をすくめると、「私は気にしませんけれども、みなさんどうかよろしくお願いします。」と言ってマイクを置いた。観客の気持ちを配慮した、実に礼儀正しい注意の仕方であった。さすがです、パールマン。一流の音楽家だけあって、ファンの心の掴み方も完璧です。

マナーやルールも大事だが、音楽を聴きにやってくる観客の誠意は玄人も素人も皆同じである。何度もコンサートホールに足を運ぶうちにいずれそういったことも分かってくれば、それでいい。それを身をもって示してくれたパールマンに、敬服した夜でありました。感謝。