プレイバック 2002

随分昔の話になるが、2002年の冬季オリンピックはアメリカのソルトレイク市で開催された。先週、お正月休みの暇を持て余して見ていたYouTubeで、どういう弾みだったか忘れたが、ソルトレイク五輪のフィギュアスケートの男子シングルで金メダルに輝いたアレクセイ・ヤグディンの演技の動画に遭遇した。氷の上の芸術家、という異名をもつ選手であったらしいが、その端麗な容姿と技術力もさることながら、彼の表現力はすさまじい。引き込まれる、というのか、単にスポーツ競技を見ているのとは全く異次元の感動を呼び起こす。彼はソルトレイク五輪の翌年に怪我のために22歳の若さで引退を余儀なくされた。怪我の予兆はずっとあったそうだが、五輪での金メダルをかけて彼は痛み止めを打ち続けながら競技に望んでいたのだという。まさに満身創痍の中、全身全霊を捧げた演技だったわけである。彼を史上最高のスケーターと呼ぶ人は多い。

f:id:xMitsukox:20190112024644j:plain

私は子供の頃、テレビでフィギュアスケートの中継を見るのが好きだったのだが、なぜかこれまでヤグディンという選手には全く面識がなかった。昨今の日本選手の活躍、とくに羽生結弦さんのことはさすがに一応知っているのだが、私の家にはテレビがないので、昨年の平昌オリンピックもほとんど見ていない。なんとも勿体ないことである。

 

ソルトレイク五輪の時私はどこで何をしていたっけ、と考えてみた。オリンピックは2月に開催されたらしいが、そういえばあの頃私は日本に半年ほど住んでいた。ルイジアナ州立大学の修士課程にいたのだが、その時に入っていた研究室の関係で、岐阜県の神岡町にある廃坑でニュートリノの観測に参加していたからである。毎日ジープを運転して朝8時前に山に入って、8時間ほど計測器の横で過ごし夕方5時頃に外に出てくるのだが、冬であったし日の出は遅く日の入りは早かったため、ほとんど太陽を浴びれない生活であった。私は素粒子関連の実験や計算は全くできなかったのだけれども、日本語に堪能(当たり前だ)なので通訳と使い走りに重宝されていた。さすがにそれだけで学位を取るのは気が引けたので、次の年にアメリカに戻って別の研究室に移った。あの時の論文は、その後かなり有名になって今でもよく引用されているが、私は名前こそ載っているもののその実質的な内容にはほとんど関与していない。

 

観測機の周辺には宿泊施設が少なかったので、山のふもとの富山県内から研究所のある神岡町の茂住という地域まで車で30分ほどかけて通っていたのだが、当時住んでいたアパートに確かテレビは付いていた。どうしてソルトレイクオリンピックを見なかったのだろう? 特に物理の勉強に没頭していたような覚えもないのだが。夜中にもシフトをした記憶があるが、ひょっとすると現地時間にオリンピックを見たい学生と働く時間帯をトレードしてあげたのかもしれない。あの頃の私は本当にお人好しであったから、人の嫌がることを率先してやっていた。それでヤグディンとの出会いが遅れたかと思うとなんとも切なくなる。そうでなければ彼が引退してからしばらくの間参加していたアメリカのアイスショーとか、見に行けたかもしれないのに。

 

悔やんでいても仕方がないので、ヤグディンのソルトレイク五輪での動画へのリンクを並べておきます。

Alexei Yagudin 2002 Olympic SP: Winter - YouTube

Alexei Yagudin 2002 Olympic LP: The Man in the Iron Mask - YouTube

Alexei Yagudin 2002 Olympic Overcome - YouTube