Power of Apology

Celeste Headlee という人の書いた、Power of Apology というエッセイを読んだ。この女性はアメリカの National Public Radio という言わば NHK みたいなところがやっているラジオ番組の司会者だが、大学時代の専攻は音楽で、声楽家としてもご活躍なさっているという多才な方である。彼女の家系図を紐解くと、お祖母さんはロシア系のピアニスト、お祖父さんは指揮者でアフリカ系クラシック作曲家の草分けとされている William Grant Still なのだそうだ。彼の残したアフロアメリカンという題名の交響曲は Youtube でも聴くことができる。

彼女のことはエッセイを読むまで知らなかったのだけれども、その繊細な視点に感心した。人種差別はアメリカという国が抱える一番大きな病気だが、今またそれに加えて移民問題が世論を騒がせている。一部の急進派を除いて、一般のアメリカ市民の態度は寛容だと私は思う。でなければ、オバマ大統領の政権が8年間続くこともなかったろう。ただ、アメリカの進展を妨げているものは、でも私は何も悪いことしていないのに、という感情である。人種差別はあったし、今もあるところにはある、でもどうして私が責められなければならないの、という思いを良識のある大部分の人は抱えている。移民問題にしても、アメリカ市民が失業しているのに、違法労働者を助けるとは道理に合わない、という考え方はごく自然なものだ。でもそれを口にすると咎められるから、対話を避ける。責められる側も辛いのだ。Headlee が説くのは、相手の立場になって物事を見ること。Compassion、という言葉があるが、それを持って接することで、相手が安心して心を開いてくれる。緊張はほぐれ、笑顔がうまれる。彼女の言う謝罪とは、ごめんなさいという言葉の奥にある、友達になりたいという気持ちのことである。

日本と韓国の間にある、従軍慰安婦の問題にしてもそうだ。我々日本人には、でもそれは前の世代の人間が起こした問題で、私達にあやまれっていわれても、、、という感情がある。では、仮にそんな事実はなかったとしたら、私たちは謝らなくてもよいのか。答えは否だ。友達になりたい以上は、韓国や台湾を併合した歴史をちゃんと見据えて、あなたのお祖父さんやお祖母さんにいろいろと大変な思いをさせてごめんね、と言わなければ話は始まらない。そんなこともういいのよ、といってくれる人もきっといるだろう。そうだそうだ、もう二度と遊びに来るな、という人もひょっとしたらいるかもしれない。そのどちらにしても、本当の気持ちを伝え合えたのならば進展だ。友達になろうよ、と言える。実は私ドラえもんが好きなの、と打ち明けてくれるかもしれない。そうすれば世界は変わる。良い未来がきっと築ける。

Celeste Headlee さんのエッセイはこちらに。

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